横シューティング「グラディウス」は、他のゲームとは別格に思います。
それまでに無かった概念(ていうか発想すら無かった考え)が複数盛り込まれた、横シューティングゲーム史でパラダイムシフトを起こした、奇跡のようなゲームだったと考えるからです。
何と言っても「グラディウス」の前と後では、シューティングゲームの作り方や、「シューティングゲームとは」といった根本的な部分が変わってしまった様に私は思うんですよね。
アイデアと技術と映像美にしびれた時代のオーパーツ
詳細は後述しますが、このゲームはとにかく「斬新さ」で、当時のプレイヤーを圧倒しました。
「自機がパワーアップ」「強力にディレクションされたアートワーク」「火器支援する無敵の光体『オプション』」……!
これらのシステムやギミックは全て、「グラディウス」以前までのゲームには無かったものなんです。
それまでのシューティングにも名作は沢山ありましたが、「敵弾を避けつつ射撃でやっつけろ」という概念の中でのバリエーション誤差範疇での展開だったんですよね。 アートワークもシンプルに洗練された物は数多くありましたが、大体は雰囲気程度のものでした。
そこへ来て、「パワーアップで弾幕で『面制圧』などの戦術展開が可能」「映画やアニメと同レベルの『題材』を扱った(同レベルという意味ではない)美麗なグラフィック」で一気にシューティングゲームの質のレベルを上げてきたのがこの「グラディウス」……!
「グラディウス」が扱った「題材」は「ガチSF」。 敵勢力のメカデザインは勿論のこと、小惑星群内の宇宙火山、謎の触手宇宙生物、そして謎の宇宙巨石遺跡群(しかもモアイ!)。
ファミコンのあの粗いドット絵ながらも、無駄のない記号アートで表現された「グラディウス」の世界は、当時のゲーム少年・青年達の脳内で鮮やかなSF世界として再描画されたのでした。
それにしても、あのモアイステージにはしびれましたね。
宇宙に、地球にあるはずの遺跡……しかもモアイ!? ハインラインのSFや、ジェイムズの「星を継ぐ者」なんかを思い起こさせますね。 そう言えば当時はSFのブームがかなり高まっていた時期(の終わりの頃)でした。
でもってこの、宇宙空間に巨大なモアイがいる絵面がまたもう……!
アーティスト(デザイナー)のセンスと技術によって、この違和感が滅茶苦茶カッコいいビジュアルになってます。謎な輪っかレーザーを口から出してくるのもまた「超文明」的な演出に見えて大好きです。
縦置きのと横に倒れたのがあって、縦置きの奴には後頭部に「茸の石づき」みたいなのがあります。 本来は横置きが正解なんでしょうか……。 いや、ゲーム上配置し易くしてるだけだと思いますけど。
そして何と行ってもド肝を抜かれたのがこの「オプション」。ちょっとイクラみたいな絵になりましたが気にしない。
自機の動きをトレースして追従し、それ自体には当たり判定が無く無敵。 自機の攻撃もトレースするので、複数(ファミコンだと最多で2つ)従えれば、3機分の火力を展開可能。
オプションの位置をタテ並びにして弾幕を形成して面制圧したり、ヨコ並びにして一列に火力を集中させたり、はては地形にめり込ませて障害物の向こうにいる敵に攻撃したりと、「戦術的」なプレイをも可能にしてくれる斬新なアイデアだったのです。
ていうか「パワーアップ」だけでも新しいアイデアだったのに、そこへ来てこの「オプション」のアイデアは凄まじすぎます。 今でこそシューティングと言えば、これ系のパワーアップは当たり前になってますが「グラディウス」は空前です。 それまでにはそんな「発想」すらなかった。
当時初めて手にして遊んだとき、この「新しさ」と「カッコよさ」に圧倒されて、口あんぐりな気持ちになったのを思い出せます。 そして勿論ゲームとしての面白さもすばらしく、一周クリアまで一気にやりこんでしまったのでした。
イケメン戦闘機「ビックバイパー」
プレイヤーが操作する自機「ビックバイパー」。
Wiki では関係ないと書いてありましたが、私はやっぱり「GRADIUS(グラディウス)」は「GLADIUS(剣)」由来だったんじゃないかなと思ってます(当時、ちゃんとしたゲーム会社でも英語のスペルミスなんて普通にありましたし)。 そんなわけで「ビックバイパー」は剣のような鋭角デザインなのではと勝手に妄想しています。 ジェット部分を柄にするといい感じに剣のフォルムに見えません?
パッケージやポスターのイラストは「ビックバイパー」の背後からのアングルなので前半分が見えにくく……。
なんとか当時出ていた「コナミ完全監修」のプラモデルの情報を見つけたので、そのビジュアルを参考にしました。 「2」以降の「ビックバイパー」、基本的な部分は残しつつもかなりのバリエーションがあってすごいなと思いました。 全種類のプラモかフィギュア欲しいです。
ディティールについて見えるところはなるたけ正確に書きましたが、コクピットの中とかは想像です。 ていうかパイロット大き過ぎましたね。
当時ゲームが熱かったのは「新しい」の象徴だったからかな
今でもエンターテイメントのスタメンを張っている「ゲーム」ですが、80~90年代のゲームのあの感じは特別でした。
それは、今のゲームがつまらないとかそういう話ではありません。
当時はゲーム自体が、それまでの世界には存在しなかった新しい娯楽の「概念」であり、「テレビの中の映像を自分で動かせる」ことそのものが「非日常な体験」だったんですよね。
そこへ来て、ゲームならではの概念「残機」「バグ」「攻略」「ハイスコア」「隠しキャラ/裏ワザ」といった考え方も同時に押し寄せてきます。 ぶっちゃけもう「異世界もの」の冒頭シーンです。
さらにはゲーム自体でも、シューティングやらテキストアドベンチャーやらジャンプゲーやらRPGやらと、「こんなのもゲームになるんだ!?」「ゲームでこんなにすごいビジュアル/サウンドが!?」と、数ヶ月に一度は口あんぐりしてしまっていたのがこの時代の「ゲーム」でした。
当時の子供達がすぐさまゲームに熱中して、大人になった今でも当時を懐古してしまうのは、当時のゲームがとりわけ面白かった……というよりは、「新しい概念のコンテンツが新しい概念の仕様をともなってどんどん高度化していくさま」を目の当たりにしていた興奮ゆえだったのでは、と思いますね。
そう、当時の子供達……少なくとも私にとってゲームは、「新しい」の象徴でした。
というわけで……
「グラディウス」はそんなゲームの中で、ひときわ新しく、そしてカッコよかったゲームとして、今も私の心の中で光り輝いております。
それ以降のシューティングゲームの最低レベルを一気に引き上げた「グラディウス」。 「撃って逃げる」遊びの「オモチャ」的なコンテンツから、よりスキルフルで知的に高度な「エンターテイメント」へとシューティングゲームのパラダイムシフトをもたらした「グラディウス」。
いい大人になってこのゲームを振り返ってみると、中々考えさせる題材だなあとしみじみ思ってしまいます。
これからもゲームにおいては勿論、その他でもまた「新しい」概念のコンテンツの誕生に居合わせ、その成長にドキドキしたいものですね。 せいぜい長生きをしようと思います(笑)。
以上、レトロゲーム絵日記「グラディウス」でした!